評で本を手にとる
ここ数年、思い返すと、固めの本ばかりを読んでいたような気がします。
それには、またいろいろ理由もあるのですが、最近、思考が、志向がちょっと変わりました。
純粋に、肩の力を抜いて、読む事を楽しみたい、心を動かされたい。
たぶん、コロナの影響でしょうねえ。
この病禍で、私が天に召されるということはおそらくはないでしょう。
そう信じてます。
嘘です、信じ切れていないので、運動をしたり、ストレス低減に努めたりと、節制に努めています。
そして、たとえ自分に明日が来なかったとしても悔いのないよう、したい事を(日常と折り合いをつけつつ)するようにしています。
ふっふっふ、まあ、いわばコロナをダシにして人生を楽しんでいるわけですね、私。
そんな流れの中で、久しく読んでいなかった、ライトノベルをまた読んでみようと思い立ちました。
ライトで(軽妙で)、ライトな(明るい)、ノベル!
なんと甘美な響きでしょう。
小学校~大学生の辺りまでは、日常とともにあったライトノベルと、マンガ。
でも、いざ再び手にとろうと思ったら、なんということでしょう、レーベルも刊行数も、ものすごいことになっていてあらびっくり。
そのうえ、現在の生活環境では、本屋であれこれ手にとって内容を確認し、というわけにもいきません。
かといって、気になるものすべてを買い漁れるわけでなし。
さりとて、犬も歩けば棒に当たると闇雲に買いあさって、気に入る作品に行き当たる僥倖のを待つのも、手間。
となれば、取れる手段は、恐らく二つ。
以前読んでいた作品を再度読む事と、確かな賞を獲った作品に手を出してみること。
前者には、竹宮ゆゆこ『とらドラ』(電撃文庫、メディアワークス)を選びました。
では後者は?
ここで話は変わるのですが、紹介文、というのはとても大切なもので、時にその一文が、紹介された本を手にとるかとらないかを決めることがあります。
私にとって、このゴールデンウィークに読みふけった本を手にとるきっかけになったのが、これ。
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佐藤辰男(カドカワ株式会社 代表取締役会長)
私の一押し。賭博小説としても一級品。18世紀のロンドンが舞台。清教徒革命の時代だった前世紀から一転して博打と麻薬の時代になったという時代の空気がうまく描かれている。奴隷や拳闘、カフェなどの知見が楽しい。が、「麻雀放浪記」のファンからすれば、余計な描写はそぎ落として、全編博打シーンでつなげてほしかった。
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電撃大賞受賞作品の紹介と、選考委員の短評を載せたページの、短評の一つです。
なんというか、突っ込みどころがいっぱいでまことに楽しい。
いやいや、「全編博打シーン」じゃあ、全然ライトじゃないですよ、ヘビーヘビーでイリーガル。
麻雀放浪記、私も好きなんですが(真田広之と鹿賀丈史の映画も味が有りましたねえ)、そういえば、確か原作だと、ニ巻で主人公ポン中になっちゃってましたっけ。
そいつぁちょっと中高生にはねえ。
まあ、そういう私が麻雀放浪記を読んだのは高校の頃だったと思いますが。
それはおいといて、おそらくは評者の方、きっとこの作品がすとんと腑に落ちたというか、感覚で気に入ったんだろうな、という雰囲気を感じます。
文頭に「私の一押し。」良いですねえ、とても端的です。
そして続けて「賭博小説『としても』一級品」と。
「賭博小説」ではない何かの小説としても、一級品ということでしょうか。
そのなにかとは、きっと、そのあとに来ている「時代の空気」や「知見」のことではないんでしょうね。
それは、語られない。
選者の方の一筋縄ではいかない性格を匂わせる短評そのものがとても楽しくて、そんな評者にお小遣いを張って(なんせ賭博小説ですからねえ)、ためらいなく全巻購入したのが、周藤蓮『賭博師は祈らない』①~⑤(電撃文庫、KADOKAWA、2017-2019)です。
本は感覚で読むもんですが、選ぶのは勘ですからね。
そんなこんなで連休前におうちに届き、ゴールデンウィークを彩り、楽しませてくれた作品です。
せっかくなので、本の紹介一投目は、これにしたい。
そして、どうせ書くなら、自分が短評でこの作品を手にとったように、誰かがまた手にとろうと思えるような文章を、ちゃんと書いてみたい。
そう思えたのだから、がんばって書くどー!
(とりあえず、今日は寝ますがZzz)